わ・た・く・し

妄想と虚構の狭間。

創造性という一本の線

日蝕、月蝕にはいつも思ってもみない方向に運命が動かされる。

私はしばらく寝込んでいた。
最近は人を遠ざけて沈み込んでいることが多かったが、それでもつながりを回復しようという人の動きがあって、気持ちが和らいだ。私は愛されているのだと思った。

学生時代の友人とも会うことになった。学校を卒業して以来だから、ウン10年ぶり。
彼女のメールの中に、眩しかった私の学生時代、大学を闊歩していた私のことが書いてあって、微笑ましく思った。まだあの頃の私をそのままに覚えてくれている人がいるのだ。若い私に怖いものはなかったかもしれない。ただただ未来が眩しくて、その光に照らされ私自身も輝いていただろう。たくさんの人に友達になりたいと言われたし、それ以上に私はいつだって、みんなのことを祈っていた。本当に他者愛の人だった。

私が人生の節目節目で、必ず自分の道を違えてきたことには理由がある。でもその理由のほとんどを人には語らずに生きてきた。語れない状況もあったし、その意味を理解する人にこそ語りたいという思いもあった。
抑圧されてきた子供時代の問題もあったし、父の問題もあった。
人生の節目節目で、必ず自分の道を違えてきたのは、子供時代の自分自身につながり直したいからであったし、父とのつながりを回復したいからでもあった。それほど私にとって、父は重要な人だった。
そんなことの一端を私はきっと語りたいのだ。だからこうして意味不明なブログを書いているのだろう。

自分の人生を語った時、たいていひどいことを言われてきた。
小説にしても盛り込みすぎ。芝居がかってる。など。
もっとひどいことも言われてきた。ずいぶんな仕打ちだと思った。
この世界に癒し合うことはないのか、と思った。
私の地獄のような幻想が、こうした人の言動を引き寄せているのか。
そんなわけがあるかい。
素直に純粋に同情されたり、私のために泣いてくれる人がほしかった。


どれほどこうした悲しみを綴れば、人は癒されるのだろう。
多分こんなことでは癒されないのだろう。
だから、新しい一歩を踏み出してみることにした。
ひとりで。ひとりだけど。

本当の苦しみを語ってみたいと思う。



こうして書いているほど、私は根暗ではない。
でも、こうして書いているように私は根暗だ。
だから書いたものは私にとっては、人が思っている以上に、大切なものである。

私の父はアーティストであって、私もアーティストであって、私の息子もアーティストだ。ここに創造性という一本の道ができる。

そうありたいし、そうあってほしい。


表現は自由だし、表現は偉大だ。

私は何者にもなれるし、世界は如何様にも作り変えられる。

アーティストは創造主であって、現実の奴隷ではない。

私たちは何者にもなれるし、世界は如何様にも作り変えられる。

アーティストは創造主であって、感情の奴隷ではない。

あなたは何者にもなれるし、世界は如何様にも作り変えられる。



しかし、感情を取りこぼしてはいけない。絶対に。