わ・た・く・し

妄想と虚構の狭間。

2022年7月前半の戯言

 

暑さと心の呻きと曲芸飛行とその他諸々で、感電しまくり。
スライダー・電気特異体質の私は、CDプレイヤーとドライヤーをぶっ壊し。SONYも駄目ねぇ、と呆れるわけである。
ネットも不具合、PC、スマホも...。身から出た嵐。


見つけてほしくて、こんなことをしたんだ。
私の中の虐げられ続けてきた、小さな小さな私の声。
発してあげることができなかった。
言わせてあげることができなかった。
私自身の尊厳を、取り戻してあげることができなかった。
私はまだあなたのために闘えていない。
私はまだあなたのために、立ち上がっていない。
誰かを守るため、誰かを悲しませないために、誰かを幸せでいつづけさせるために、なんで、あの時の私は、いまだにずっと同じ苦しみを抱えて、闇の奥、ひとり泣いていなければならないの。


自分のことなのに、自分でどうにもならなくて、赤子のように泣いていた。


そのまま泣き疲れて眠ったら、トキオからの着信で目が覚めた。片手には食べかけのフランスパン。ああ夢か。という夢を見た。




甘え、わがまま、無茶振り、奇態。
喜ぶ男の顔はいじらしいけど、ありがとうの数だけ私の実感は削がれていく。だから、言葉にしないことの重みを感じてくれる男だけでいい。
忘れさせてほしいことがあるんだ。私の五感はジャックされ、エネルギーの奔流がうねるようにスパークする。ほら、龍が、駆け抜けていくよ。
天までいったら、ありがとうは本音で言える。あの扉くぐって、星雲が見えたよ☆”
本当に感謝しかないんだ。
無邪気な子どものように、痴態の数だけ、愛も深まる。


わかってほしいことがあるんだ。
言えないことがあるんだ。だから癒えないんだ。
涙の量だけ、愛も深まる。そんな神話を私は描こう。





ドライヤーは買い換えた。
大風量。抗菌&マイナスイオンでひゅーひゅーである。





一昨日、雨の中本屋へ行ったら、店先の傘立てに置いていた傘を盗まれた。
驚きはしたたが、妙な予感みたいなものもあって、怒りは湧かなかった。もうそんなことさえどうでもいいほど、人間というものに呆れているのかもしれなかった。
仕方がないので、ただ雨の中、雨雲が動いていくのだけをじっと眺めていた。
私の横におじさんが一人佇んでいた。彼も雨の上がるのを待っているのか。否、彼は迎えの車を待っているのかもしれない。駅に向かって、もう一本の傘を持ちながら誰かの迎えに来ている人。孫のお迎えにきたおばぁちゃん。傘が無くて、駅前で買って帰る人。私の傘も、そんな誰かに盗まれたのだ。家に帰れば傘は沢山あるから、やはり買う気にはなれなかった。

それでも、こんなふうにただ雲の流れをぼんやりと眺めるのはいつぶりだろう。
胸いっぱいに吸い込む雨の匂い。
雨雲の隙間に光が差し込んで、隣のおじさんは駆け出していった。
私もしばらくして、家路を足早に帰った。



傘立てに傘を置く瞬間に、私のイメージが拾った情報に、この傘が盗まれるという予感があった。
前に、美容室でバックを預けたら、会計の際にお札が抜かれていることに気付いた時と同じ感覚だ。あの時も預ける時に不穏さを感じていた。

ぼんやりしているとこうした虫の知らせのような勘はいつも以上に働くのであるが、そもそもぼーっとしている時なので、それに対する危険回避も手薄になってしまい、意味がない。

職業的なサイキックは、こうした能力をきちんと強化する訓練を日々自分に課すが、私はめんどくさいのでスルーである。





不本意なことに不本意なことが重なる。
感情を真っ直ぐにぶつけることができない。絡まって歪曲した銅線のように、私の感情は捻れている。その捻れを解こうとすれば、銅線の基盤から根元が剥がれそうになるのが見える。
どちらが危険なのか。
Y字路に立ち、どちらも沼に続くなら、どちらへも往かずに、そこで立ち留まるという選択も。




答えの出ない問題に自分なりに区切りをつけなければと思った。
いつまでも泣いているのは私の自由。でも、この長雨を誰もが疎ましく思うように、私自身も疎ましがられるのは嫌だ。

そうして、いつもどおり、大人の自分で子供の自分をまた黙らせることにしたのに。芝居じみた幕引きさえ私には与えられないようだ。軽はずみなネタばらし。そんなお芝居、もう観る気にもなれない。



何かを言語化すると、そのナニカの肝心な核心は失われていって、周辺部分だけが陳腐な概念として成形される。物書きは、時にその絶望や無力感と闘っている。無意味さのために意味をつくり出すという茶番。


書くことは自分の感情を切り刻む行為でもある。
書いたものを、繰り返し眺めては味わい、味わっては眺め、自分が見えなくなる。
書いているのは私なのか、書かれているのも私なのか。多分違う。

背景は私なのか。前景は私なのか。どれも違う。否、背景が私か?


心から出る言葉、感動から出る言葉、感情が体に連動したリアルな実のある言葉を発したい。
自分のために。
自分のために。